春うららかな気候に合わせてか、里の至る所からは恋模様が飛び出してきている。  右手にある甘味処では、一つの容器に入ったのを二人でつつくような、カップル用のメニューが押し出されている。  左手にある仕立屋では、恋人同士が同じ柄の服を着る「ペアルック」なんてモノが押し出されている。  里の広場やはずれでは、騒霊三姉妹や夜雀によるラブソングのコンサートが開かれているだろう。  更に里から遠い所では、メスの気を惹くためにオスが色鮮やかな姿に身を包んでいるだろう。  そして先程まで入っていた映画館で上映されていたのは、そろいも揃って全て恋愛映画と来ていた。  そう、春と言えば恋の季節。  道行く人々もどこか浮かれた面持ちだ。  あのおめかしした村娘も、恋人の元へと駆けているのだろう。  向こうで正装を着込んだ青年も、きっと逢瀬の待ち合わせをしているのだろう。  仲良く手を握り合いながら往来を行く男女の二人組なんて、どこを見渡しても必ず目に入る。  時刻は少しばかり夕方に差し掛かろうとしていた。  しかし春の陽気か、それとも妖気か、色んな『何か』に当てられた人妖はまだ冷めることなく、昼間と変わらない程の活発さを見せている。  あるいは、近付きつつある夜に向けて熱を上げているだけかもしれないが。  その点に関しては人間も妖怪も同じであった。  そんな光景を興味無さげに眺めているのは森近霖之助。  しかしそれは独り者の僻みによる冷たさではなく、ただ単に何かを考えるという事を怠っていただけであった。  あるいは、現実逃避していたとも言うべきか。  そんな彼はというと、一人の少女に腕を引っ張られながら里の中を歩いている。  いや、傍から見るといかにも『ずいずい』という効果音が聞こえてきそうなそれは、最早歩かせられていると言っても過言では無い。  服に変なシワが付かなければいいんだがね。  どこかズレた事を思いながら、霖之助はその少女のなすがままである。  映画館からの帰り道、少女に腕を引っ張られている霖之助。  こんな光景を、彼の周りの少女達に見られたらどうなるだろうか。  博麗霊夢なら、とりあえずその場では素知らぬ顔をして、次の日になったら香霖堂で彼を散々問いつめるだろう。  霧雨魔理沙なら、一体これはどういう事なんだと叫び、そしてそれを宥める為に彼は手痛い出費をしなければならなくなるだろう。  射命丸文なら、ある事ない事書き加えられた上で、幻想郷中に流布されることになるだろう。  こと自分への好意には鈍いと揶揄される彼でも、今の光景が誰かに見られたらマズいという事は分かりきっていた。  しかしそれでも彼がその少女の手を引きはがさないのは、幾つか理由があった。  まず第一に、目の前の少女の見た目と、現在のこの状態にある。  少女の手を無理矢理引きはがす、少女よりも遥かに大きな男の図なんて、傍から見れば如何にも悪漢のようにしか見えないだろう。  彼の幾ばくかのプライドは、それを許さなかった。また見た目以外の所にも理由はあった。  目の前の少女は、確かに見た目は齢十と少しにしか見えない上に、普段の言動や嗜好はまさに少女そのものである。  しかしその正体は、彼の何倍も長く生きている大妖怪なのだ。  彼がどれだけ力を込めて振り払おうとしても、その少女は表情一つ変えずに彼の腕を掴んだままであろう。  ともすれば無理に逆らわないのが一番利口だと、彼は考えた。  そして最後に、実の所はこれが大部分を占めているのだが、彼女の能力を信頼していたからであった。  視点を進行方向に向けるとそこには、黒い生地の帽子を被り、黄色を基調とした上着に緑のスカートの出で立ちの少女。名前は古明地こいし。  本日、霖之助を映画館に誘った張本人である。  周囲の人々は二人の事など気にも留めてないようだ。  しかしそれは、現在の二人の光景が別段珍しいものではないからではなく、こいしの「無意識を操る程度の能力」が、二人の事を意識しないように周囲の人々の無意識を操っているからであった。  事実、少し前に霖之助の顔をよく知る和装の少女が目の前を通り過ぎたりもしたのだが、彼女は二人の事に全然気付かないで通り過ぎて行った。  もし気付かれでもしていたら、彼女が生きている間はずっとその事でからかわれていただろう。  しかし、なぜ僕は彼女に引っ張られているのだろうか?  実の所、霖之助にはまったく心当たりが無かった。