新聞紙の一面を見詰める。  穴が開いて向こう側が見えるのではないかというほど強く。  そこに書いてあった文字は、僕の視線を捕らえて放さない。  このままでは、本当に穴が開いてしまうのではないかとまで思えてきたその時、新聞紙の向こう側から僕に声が掛かった。 「そんなに気になるの? 魔理沙の事が」  その声でようやく僕は、穴が開くほど見詰めた紙面上より目線を逸らす。  しかし声の主である霊夢は僕とは目線を交わそうとせず遠くを見詰めたまま、その手に持った湯気が立つ湯飲みに息を吹きかけている。  霊夢は先程「暇だったから」と言ってふらりとこの店に現れては、何を喋り出すのでもなく一人でずっとお茶を啜っている。  因みにそのお茶が、隠しておいた客人用の高級茶葉であることは言うまでもない。 「僕はただ、配達された新聞を読んでいるだけだよ霊夢。拙い出来とは言え、一応講読している立場だ。その全てに目を通すのは当然だろう」  そうして僕はまた手元の新聞へと視線を戻す。  それも先程穴が開くほど読んでいた一面の上へと。  そこに大きな文字で記載されているのは『白黒魔法使い連戦連敗!』の文字。  詳細に目を通すと、どうやら魔理沙はあの烏天狗、射命丸文に『幻想郷最速』の名を賭けた勝負を挑み、そして幾度となく負けを重ねているのだという。  一体、何が魔理沙をそこまで駆り立てているのか。  少し考えれば人間が天狗相手に速さで勝つ道理などはないという事が判るというのに。  そもそも天狗という存在の由来は、遥か古代の中国まで遡る。  古の時代の空。そこには今とは比べものにならぬほど頻繁に流星の姿が見られたのだという。  昼夜を問わず天を走る火球。  そして中国ではそれらの流星痕が犬に似ていることから、いつしか人々は流星の尾を犬になぞらえて『天の狗』と称した。  これが即ち『天狗』発祥の起源である。  つまり『天狗』とは元々『流れ星』を指す言葉だった訳だ。  故に、天狗は誰よりも速く空を駆ける。  たかが人の身で流星の化身に勝とうとは、天に唾棄するようなものだとも言えよう。  だがしかし、一方で魔理沙が固執する訳も判る気がする。  彼女は『星』をイメージとした魔法を数多く行使する。  ならばその彼女にとって『流れ星』一つに勝てない、と言うのは納得しかねるのだろう。  たかが天から落ちた星一つ、魔法使いとしての私に使役されるべし、とくらいは考えてそうだ。  それに何より、彼女の魔法使いとしての矜持もあるだろう。  そう、万物を司る『法』に背くものである『魔の法』を使うからこその『魔法使い』なのだ。  魔法使いとしての魔理沙は、『人は天翔る星には勝てない』という法に逆らい続けるのだろう。  新たな体系を以て自然的事象を否定し、自らの望む事象へとねじ曲げる。  それこそが『魔法』なのだから。 「さっきから何やら考え込んでるようだけど、そんなに魔理沙が心配なの?」  霊夢が先程と同じように、声を以て人の思考を分断してくる。  それにしても心配とは。  霊夢にしては中々見当外れな指摘だ。 「まさか。寧ろ良い薬だろう。これで少しは大人しくなるだろうさ」 「良い薬、ねぇ……思ってもない癖に。それに良い薬ならばもっと別のがあると思うわ」  別の? それは一体?  そう紡ごうとした僕の口を、霊夢の言葉が押しとどめる。  行き場を無くした僕の声は、ただ僕の中でむなしく響き渡った。 「思うと言えば前々から思ってた事があるんだけど……霖之助さん、嘘吐くの下手よね」  乾いた響きがまだ鳴り止まぬうちに、霊夢から投げ込まれる爆弾。  その爆風は僕の胸中を一気に染め上げていく。  商売人を自負する僕が嘘吐き下手? これでもそこそこ弁は立つつもりだ。  その気になれば――道具を愛する僕としてはそのような事を行う気にはならないだろうが――舌先三寸で商品を売り付ける事だって出来る。  その僕を捕まえて言うに事欠いて「嘘吐くの下手」? 「君は、なにを」  平常、とはとても言えない心境のまま僕は霊夢に生返事を返してしまう。  しまった。これではまるで僕が彼女の言葉に動揺しているようではないか。 「だって霖之助さん、嘘吐く時必ず鼻の頭が赤くなるじゃない。まるで話に聞いたどこかの鹿のよう。あら? 馬だったかしら?」  霊夢のその言葉に思わず僕は反射的に鼻頭へと手を伸ばそうとし、そこでようやく一杯食わされたことに気付き、中空で手を止めた。  空を漂う手持ち無沙汰の掌を遊ばせたまま、僕は霊夢へと問いかける。 「嘘だろう?」 「えぇ、もちろん嘘よ。それじゃ嘘つき下手の霖之助さん。後はよろしくね」  僕を引っかけた事への謝罪もないまま、霊夢は店を後にしようとする。  結局、彼女はお茶を飲みに来ただけだった。  全く、お茶ならば神社にだってあるだろうに。  それに「後はよろしく」とは一体――? 「あ、言うの忘れてたわ。神社のお茶を切らしてたから少し貰っていくわね」 「なに? ちょっと待ってくれ――」  なるほど、畢竟するに彼女は最初からそれが目当てだった訳だ。  僕は急いで彼女を呼び止め、正当なる対価を払って貰おうとする。  しかし時既に遅く、霊夢は店外へと飛び出していた。  文字通り、飛んで。これでは僕には手も足も出ない。  僕は空を駆ける足を持っていないのだから。  紅白が見事な逃げ足を披露した結果僕に残されたのは、誘拐される前の茶葉で霊夢が煎れてくれた一杯のみ。  今だ冷めやらぬそのお茶を僕が名残惜しみながら啜っていると、香霖堂へと入ってくる者の姿があった。 それは、僕にとってよく見覚えのある白黒だった。